日本橋/人形町/株式会社清心丹/漢方調剤薬局/処方せん/エイジングケア化粧品

清心丹薬局
シレナボーテ
シレナール
貸し会議室日本橋清心丹

懐中要薬「清心丹」とは何か?

昭和の清心丹

昭和の初め

昭和の初め

芋の葉のこれに  煉る露は金銀の薬
少年の老い易く  夢見しは金銀の薬
よし町の通り今清の横の
瀟洒に掃き清めし露地を行けば
人魚を描ける金看板清心丹の老舗あり。

露地は敷石も美しく
今清の鋤焼の匂ひと
金銀の薬煉る匂ひと
打交り打交り妖しく薫染し
人魚の匂ひはかくの如きかと
少年の日のかなしさに

人魚は恋しく  ふと煉丹の乙女を
汝は恋ひゐたりしか。

人魚はかなしく  芋の葉はかなしく
鵙は猛りて  青天白日の夢を覚しぬ

(煉丹  川端茅舎)

昭和初期、清心丹のある芳町周囲は花街として隆盛を極めていました。
繊維や鉄鋼業界の上客が羽振りをきかせ連日大いに賑わいを見せたといいます。
昭和13年「誹諧」第2号に載る川端芽舎の詩には情緒のある低い家並みの中で存在感を示す清心丹本舗の様子が見事に描かれています。
花街にリズムよく打ち響く丸剤製造機の音。
清心丹と言えば人魚印の名薬として既に全国で認知されておりました。
しかしそうした活況も束の間、徐々に時代は戦争へと向かってゆきます。
木家も後に7代目となる若当主が陸軍薬剤官・大尉として東京第二陸軍病院(世田谷にあった後の国立小児病院)に奉職しており不穏な世相を切実な思いで見守っておりました。
下は開戦の頃、昭和10年前後 氏神・椙森神社への木家、参拝風景です。

木家

戦禍を超えて

昭和16年 太平洋戦争が開戦し国中が軍事色に染まって行く中、清心丹も若当主が外地へ出征し家業・商売は二の次となって行きました。
そして戦争末期の昭和20年3月10日、下町一帯を襲った東京大空襲により浜町から浅草にかけて、また隅田川より東の地域が焦土と化し10万を超える市民が犠牲になりました。
清心丹本舗・工場周辺は風向き等の幸運にも恵まれ奇跡的に焼失を免れましたが近隣の浜町・明治座には多くの人々が逃げ込みその大半が亡くなってしまいました。
続く5月には山の手地区を再び空襲が襲いこの時6代目当主が寓居にて亡くなっています。
そして8月、日本中に多くの犠牲をもたらした昭和の一連の戦争が終結しました。
訪れた平和、当主を失い焼け野原からの再出発。
無事復員した7代目が昭和21年に正式に家督を継ぎ再興を目指します。
看板商品である清心丹・清婦湯に加えて軍薬剤官の経験を生かし導入した、扁桃腺炎などに用いる「ルゴール液」(商品名:清心丹ルゴール)や赤痢・疫痢の効能を持つ抗菌薬「アクリフラビン製剤」(商品名:セダン ツノダ)などのラインナップで復興時の健康産業に打って出ました。
さらにクロロフィル・緑茶末を加えて清涼感を高めた「緑の清心丹」(商品名:ピース)を新たに開発、新聞や雑誌に積極的に広告展開を図りました。
戦後の好景気の波にも乗り、これらは順調に販売数を伸ばしてゆきました。

緑の清心丹の広告

訪れた転機、そして平成へ

戦後復興が軌道に乗り世の中が急速に変わって行く中で庶民の健康意識には少しずつ変化が見え始めました。
昭和30〜40年代にかけての高度経済成長。国民の所得は倍増し公衆衛生や医療は質量ともに飛躍的な発展します。
特に広域の抗生物質が普及した事で各種伝染病はほぼ根絶されました。
これにより江戸から綿々と続いてきた「未病」の心がけ、危機感を持って自ら健康を守る意識は失われ、医療は症状がひどくなった時だけお世話になる物となりました。
そして昭和後半に向かい清心丹の販売数量は徐々に下がっていきました。
ストレスをかえりみる暇もない経済成長の熱波がおさまる頃「胃腸健全・悪疫予防」を訴えてきた清心丹の役目はこの時、ひとまず終わったのです。

おりから良質な生薬原料が高騰し入手しにくくなった事もあり昭和50年代初頭、明治以来続いた懐中用薬 清心丹をはじめとする全製品の製造を終了しました。
晩年の7代目当主は本舗建屋の一部を人形町郵便局として自ら局長を務めました。
工場だった角面の一階は清心丹薬局となります。
7代目は長きにわたる社会貢献が評価され「勲五等双光旭日章」「勲五等瑞宝章」を受け、平成7年に亡くなりました。

その長男である8代目当主・木弘也は薬剤師として清心丹薬局を基盤に地域奉仕の道を進みました。
毎日店頭に立つ傍ら日本橋薬剤師会の幹部として堅実に業績を積み日本橋・人形町地区の地域医療、医薬分業の発展に貢献しました。
「地域の皆様のために」の精神は長きにわたり同地で薬業を営んできた家の使命でもありました。
そして長い昭和が終わる頃、戦禍を潜り抜けた歴史ある建屋を含む周囲一帯の再開発計画が持ち上がります。
清心丹は複合ビル「人形町センタービル」に生まれ変わる事になりました。

写真は昭和63年、再開発を目前にした清心丹薬局と人形町郵便局(下段左)です。
郵便局2階の窓枠には昭和初期の装飾がまだ残っています。
下段右は無事リニュアルを終えた平成17年頃の8代目当主の薬局内スナップ、この時67才でした。

8代目は平成25年に亡くなり、その後は妻・木紀子が事業を継承しました。
途絶えていた製品群は平成に入りセルフメディケーション再認識の時流に乗り復活を遂げます。
旧清心丹を現代ニーズに合わせアレンジした「清心丹シレナール」をはじめとする老舗ならではの新製品が多くの皆様にご好評を戴き現在に至っております。

昭和63年、リニュアルを目前にした清心丹薬局と人形町郵便局

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